2011年3月20日 の説教



 聖書

 フィレモンへの手紙 11~25節

説教要旨   今日の聖書にあるフィレモンとオネシモとは、主人と奴隷の関係でありました。

 18節から考えると、フィレモンの奴隷だったオネシモが、事情はわからないが過去に主人フィレモンに何らかの損害を与えて後、コロサイからローマまで逃げてきた。オネシモは当時の大都会ローマで何らかの形でクリスチャンたちと出会い、当時既に獄に入れられていたパウロのもとに連れて来られた。そこでパウロの指導により回心しキリスト者となった。しかし「負債を負っている」(18節、ギリシア語ではオフェイロー)が現在形であるように、オネシモは現在もなお心に責めを負っていること、それがまたパウロの気がかりとなっていたのです。

 そこでパウロは8-9節でフィレモンに対してこう述べます。「それで、わたしは、あなたのなすべきことを、キリストの名によって遠慮なく命じてもよいのですが、むしろ愛に訴えてお願いします、年老いて、今はまた、キリスト・イエスの囚人となっている、このパウロが。監禁中にもうけたわたしの子オネシモのことで、頼みがあるのです。「監禁中にもうけた子」とは獄につながれていたパウロのもとに面会にきたオネシモが回心して、罪の告白をし、キリストの名による洗礼を受けて、パウロの子と呼ばれるほどの信頼をパウロから得たということです。しかし古代の時代、主人のもとを逃げ出した奴隷は、発見され次第有無を言わせず死刑に処せられるのが普通でありました。そのような社会的背景のもとで、パウロは回心したオネシモを主人フィレモンのもとに帰すべきかどうかで悩んだ。これはかなり深い悩みです。ただし、主人フィレモンもまたクリスチャンだと言うことです。パウロはそこに一縷の深い望みを託し、他の手紙の様に「使徒」の名を用いず「囚人パウロ」と名乗ります。 

 パウロ自身このとき今だに地中海キリスト教世界の圧倒的な主権者であるのですが、使徒の権威を用いず、むしろ謙虚に、同等の、否それ以下の立場をもって、「愛に訴えて」お願いするのです。

 「彼は、以前はあなたにとって役に立たない者でしたが、今は、あなたにもわたしにも役立つ者となっています。わたしの心であるオネシモを、あなたのもとに送り帰します(11-12節)。」オネシモという名がそもそも「役に立つ者」の意味であるにもかかわらず、彼はそのような信用から落ちた子となっていた。しかしキリストに救われて新たに生まれ変わったのです。それをユークレーストス(用いるのに良いものという意)というギリシア語を用いてオネシモが新しく生まれ変わったという意味を示し、パウロはフィレモンに彼を受け入れるよう説得します。

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