2011年3月20日 の説教



 聖書

 ヨハネによる福音書 3章13~21節

説教要旨   今日のヨハネによる福音書にはニコデモという、ファリサイ派に属する、サンヘドリン(最高法院)の議員でもある人が3章1節から登場しています。後にアリマタヤのヨセフとともに十字架にかけられて死した主イエスの遺体を引き取って丁寧に葬りました(ヨハネによる福音書19章39節)。しかしこの当初は2節のところにあるように、ある夜、イエスのもとに来て「ラビ、わたしどもは、あなたが神のもとから来られた教師であることを知っています。神が共におられるのでなければ、あなたのなさるようなしるしを、だれも行うことはできないからです」と主イエスに問いかけるのです。その心の内にはあなたが受けた神の力はどこからくるのかという、真理への問いがありました。ファリサイ派の中でも頭から主イエスを敵だと決めつけるのではなく、後にガマリエルが使徒たちに対して留保した(使徒言行録5章34節)ように見極めようという姿勢です。それに対して主イエスは「・・・人は、新たに生まれなければ、神の国を見ることはできない」と答えました。

 ニコデモは再び母の体に戻って,生まれ変る等と言うことは自然の摂理からしてあり得ない、と驚いています。それは肉である存在が霊から生まれるように(6節)、新しく生まれることをなすことで、主イエスが示していることは、後のパウロのような回心のことです。回心とは、主イエス(とキリスト者)の敵であったパウロが180度方向転換したことに代表されるありようです。日本語では同じ音で改心の言葉がありますが、これは修正的な意味であり、180度の回転ではありません。主イエスは『・・・新たに生まれねばならない』と言ったことに、驚いてはならないと励まして、16 節の言葉を示します。「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。」

 主イエスの示される新しい生とは、信じる者が皆、人の子によって永遠の命を得るための救いが与えられるということです。主イエスこそこの世を照らす光として与えられた派遣者であります。しかし19節にあるように世は光(主イエス)を憎み、闇(罪と悪)の行いを好んだのです。「しかし真理を行う者は光の方に来る。」世に裁きではなく、救いを与えんとして遣わされた愛である神イエスを信じて歩むように示されているのです。

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