2011年3月20日 の説教



 聖書

 ローマの信徒への手紙 4章13~25節

説教要旨   今日のローマの信徒への手紙4章では律法と信仰、義のことを考えます。

 14節には「律法に頼る者が世界を受け継ぐのであれば、信仰はもはや無意味」とあります。信仰が無意味ということは、つまり神様を信じたって何にもならない、という結果を招く、ということになります。ユダヤ人の宗教では、律法は、モーセ五書(創世記から申命記までの書物)でありますが、この手紙を書いた使徒パウロ自身が、かつてこれぞ神の真理とそこに基づいてファリサイ派として行動した規範となったものです。それを律法主義者ともいうでしょう。けれどもパウロは主イエスに出会ってしまった。正確にはイエスの声を聞いた。そして主イエスの救いの教え・福音が彼の中心になった。つまりパウロが言う信仰とは、一般に何かを信ずる全ての宗教の信仰に当てはまるというのではなく、主イエスのみに表された神への信仰です。

 旧約聖書に出てくるアブラハムは困難苦難を乗り越え100歳の齢に達しようと言うときに諸民族の父といわれるような境遇を得ました。17節には、「『わたしはあなたを多くの民の父と定めた』と書いてあるとおりです。死者に命を与え、存在していないものを呼び出して存在させる神を、アブラハムは信じ、その御前でわたしたちの父となったのです」とあります。更に18節には「彼は希望するすべもなかったときに、なおも望みを抱いて、信じ、『あなたの子孫はこのようになる』と言われていたとおりに、多くの民の父となりました」とあります。このような表現を見るときに、アブラハムにとって神は、信頼に足る全能なる神です。けれども、この背後には、古代の時代には「子は宝」というように、こどもがいる、ということは幸福のしるしであり、アブラハムとサラの夫婦はこの観念に縛られた当時の社会にあって限りなく不幸であったとみることが出来ます。

 しかし神は、アブラハムに夜空の数数え切れない星の輝きを見せて、あなたの子孫はこのようになると約束されます(創世記15章5-6節)。大変美しいシーンです。アブラハムにとっては望むべくもなかった宝、それは「存在していないものを呼び出して存在させる」神の力であり、アブラハムはそれを信じた。それこそは愛と憐れみに富む神の約束であり、冷たい律法主義者の拘束する規範と罰則ではない、愛と赦しの世界であります。

 そこに主イエスが指し示す十字架と復活の愛に貫かれた神への信仰により肯定されるあり方へと導かれます。

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