2011年3月20日 の説教



 聖書

 ヘブライ人への手紙 10章1~10節

説教要旨   クリスマスおめでとうございます。聖書の中で、御子イエスの誕生を祝福した人々の一人にシメオンという人がいます。ルカ福音書2章25節からのところにその経緯が出てきます。シメオンは御子イエスについて「わたしはこの目であなたの救いを見た」と語るのみならず、「この子は、イスラエルの多くの人を倒したり立ち上がらせたりするためにと定められ、また、反対を受けるしるしとして定められています」という祝福の仕方をします。父母のヨセフとマリアから見ても、少々驚きであったと記されていますが、その意味は。

 幼子イエスは馬小屋で生まれた時すでに十字架につけられていたのだ、と言われることがありますが、それはシメオンの言葉 に由来する神学かもしれません。もちろんシメオンとしては純粋にみ子の誕生を祝い喜ぶと同時にそれは救い主としての誕生であり、その過酷な運命でもある。しかし、それが人々の救いの示しだという訳です。

 今日の聖書日課のヘブライ人への手紙手紙10章には、エルサレム神殿で年に一度の大贖罪日に大祭司がイスラエルの民全体に向けての贖いの儀式を行うことを引き合いに出しています。しかしこれは人々の罪の悔い改めとその赦しを完全に行うことはできない。「それで、キリストは世に来られたときに、次のように言われた・・・『御覧ください。わたしは来ました。聖書の巻物にわたしについて書いてあるとおり、神よ、御心を行うために』」(5-7節)。主イエス自らが十字架の贖いを為し、全ての罪を赦し尽くす。そのことを信じて受け入れるように立ちゆかれるのです。

 御子のご降誕が全ての罪の赦しを行うべく神が与えたもうたということを受け入れ喜ぶ、ここにこそ、まことにクリスマスの喜びに満ちた祝福の意味があるのです。

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