2011年3月20日 の説教



 聖書

 ヨハネによる福音書 12章1~8節

説教要旨   本日の最初の箇所にラザロのことが出てきます。「・・・そこには、イエスが死者の中からよみがえらせたラザロがいた」。ここにラザロがいる、ということがこの聖書箇所全体の性格を表現していると言えます。このヨハネの福音書の中では、ラザロは一度死んで、主イエスの力によって蘇らされた人物であります。ヨハネによる福音書11章40節以降に、このことが出てきます・・・「ラザロ、出て来なさい」・・・すると、死んでいた人が、手と足を布で巻かれたまま出て来た。顔は覆いで包まれていた。(43-44節)・・・この11章を受けての12章ですから、人々には死人ラザロのイメージが濃厚に脳裏に残っています。主イエスはその記憶が覚めやらぬうちに、自らの埋葬のことをおっしゃるのです。ラザロが居合わせたことに不思議な符号があります。

 3節では「マリアが純粋で非常に高価なナルドの香油を一リトラ持って来て、イエスの足に塗り、自分の髪でその足をぬぐった。家は香油の香りでいっぱいになった」とあります。これは死んだ後、遺体になってからの処置と言えるだろう事です。ですからこのときマリアがしたことはある意味では説明のつかないものですした。そこに一行の不正な会計係であるユダはつけこんでマリアを香油の無駄遣いをしたと批判しました。その隠れた意図は何とかこの香油を売りさばく役を自分が引き受けて自らの不正に補填していく、そんな算段が彼の頭の内に働いたのではないか。そういうこの世的な論理で動く者がイエスの一行の中にいたということをヨハネは報告するとともに、主イエスが裏切者に密告されて、十字架の死が近いという意味を表しています。

 主イエスはマリアをかばって「この人のするままにさせておきなさい。わたしの葬りの日のために、それを取って置いたのだから。」同じ話があるマルコによる福音書では『なぜこの人を困らせるのか。わたしに良いことをしてくれた (14:6)』との言葉も見えます。

 マリアは丹念に主イエスの葬りの準備をする。それを復活したラザロが見届けている。そういう構図の中で福音書は問うている。主イエスをここまで思い定めてきた人々は弟子たちではなくそういう人たちからは一顧だにされないような人たちだった。これが主イエスの十字架におかかりになる前の光景だったのだ、とヨハネの福音書は問うている。けれども主イエスは彼女を優しくかばっていく。これもまた主イエスの十字架の前の光景だったのです。

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