2011年3月20日 の説教



 聖書

 コリントの信徒への手紙二 2章12~17節

説教要旨   [ 李 善 惠 ]

 コリントは、使徒パウロが第二次の伝道旅行において1年半という、パウロにとってこれまでにない長期滞在した地域です。パウロがコリントで伝道の働きを続けられたのは、主が幻の中に現われ、パウロに直接語りかけてくださったからです。しかし一番苦労をかけたのも、コリントの教会でした。神様を信じることから離れたり、パウロに敵対したりして、パウロを大変悩ませた、困らせたことが多かったからです。それにもかかわらず、パウロは傷をつけられても相手を諦めませんでした。コリントに対してあふれるほど抱いている愛があったからです。特にパウロは自分を含めてキリスト者たちが戦いに勝った将軍の栄光に加えた兵士の一人であると表現し、キリストを知るための知識の香りにした神様に感謝しています。

 「香り」、私たちはこの単語に注目するべきです。嫌な光景が目の前に現れたら目を閉じたらいいです。話したくなければ、口を閉じたらいいです。どこにも行きたくなければ、足を留まったらいいです。しかし福音というのは、口で伝えることです。口を閉じると何も伝えられません。また福音というのは、足で伝えることです。良い知らせを伝えるためには、誰かを訪れなければなりません。

 それでは、香りはいかがでしょうか。香りの特徴は、止められないことです。悪臭が鼻を突くほど酷くても止められません。つまり、香りというのは自分の意志に関係なし、自然に嗅ぐもので、周りの人々がその香りを自然に嗅ぐことになるということです。使徒パウロによって伝える一つのメッセージが二つの結果をもたらしています。使徒パウロのキリストを知るという知識の香りは、ある人には命の香りとなり、ある人には死の悪臭となりました。イエス様の死が平凡な人間の死であって、それで終わりだと認識している人々には、死を同じように終わりを迎えるでしょうが、イエス様の死が終わりではなく復活するための始まりだと認識している人々には、永遠の命が保障されます。

 良い香りは数多く人々に良い影響を及ぼします。新鮮で、美しい香りが漂う人を嫌だという人は誰もいません。良い香りの花にミツバチや蝶が集まるように、良い香りが漂う人の周辺に人々が集まることは当然です。だから、神様に献げられるキリストの香りを嗅ぐことはクリスチャンとして果たす役割です。

 誠実、これが福音を伝える姿勢であり、キリストによって神に献げられる良い香りの姿です。私たち一人ひとりが、「神様のものである」「キリストの香りである」というクリスチャンとしてのアイデンティティを持っているならば、自然に神様に献げられるキリストの香りを漂わせることができます。神様に属するものとして、堂々と生きていくことができます。お互いにキリストの香りとして生きるため、どこにいても何をしても、執り成しの祈りを続けていくことを切に願います。

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