2011年3月20日 の説教



 聖書

 ヨハネによる福音書 12章12~16節

説教要旨   旧約聖書のゼカリヤ書には王がろばに乗って入城するとの預言があります。

 「見よ、あなたの王が来る。彼は神に従い、勝利を与えられた者 高ぶることなく、ろばに乗って来る 雌ろばの子であるろばに乗って。わたしはエフライムから戦車を エルサレムから軍馬を絶つ。戦いの弓は絶たれ 諸国の民に平和が告げられる。彼の支配は海から海へ 大河から地の果てにまで及ぶ」(9章9-10節)。この預言は、何故王がロバに乗って入城するのか、ということのモチーフとして、エフライムから戦車を、エルサレムから軍馬を絶つと言っています。戦いの弓は絶たれ諸国の民に平和が告げられると語り示しています。この王が軍馬にではなく、ろばに乗ってくる特別の理由はそこにあるようです。そして本日の聖書もご覧のように主イエスはろばに乗られた。しかし、ふつう王様ともあろうものの入城ならば、軍馬に乗って勇ましくするものではないか。それが主イエスがロバに乗られるという表現は何なのかと考えさせられるものなのです。

 ガリラヤで病の人たちに対して癒しのわざを中心に日々を送っていた主イエスは、エルサレムに入って行かれる。もしゼカリヤの預言を辿るならば、主イエスは戦いの武器武具を廃絶し平和をもたらす力を揮われるはずだ。けれども主イエスは武力を武力で制圧する形の平和(ローマの平和・パックスロマーナ)をもたらしはしない。人々はなつめやしの枝をうち仰いで、奇跡を行うわれらが新しき王かと好奇の目で見また祭り上げています。「ホサナ ~イスラエルの王に」と。この時人々は主イエスが十字架にかかろうとは思いもよりませんでした。主イエスは弟子たちには、自ら十字架におかかりになり、三日の後に復活されることは何度も予め示しましたが、彼らはまさにそのような形で主イエスが栄光を現されてはじめて、ろばの意味を悟ったと記されています。

 ろばに乗られる主イエスの行く手には十字架があります。既に聖書によって示された私たちにはそれが分かっている。ならば、私たちはこの時ホサナと叫んだ人々とは決定的に違う意味を主イエスの歩む道のりに見るのではないでしょうか。それは私たち全ての人間の罪の贖いのために、全ての罪の死を引き受け、赦しと平和に身を貫かれた方にこそ私たちは真実の愛の示しを受けているからです。私たちの「ホサナ」はその意味を受けて主に向けられていくものなのです。

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