2011年3月20日 の説教



 聖書

 ヨハネの手紙 一 2章22~29節

説教要旨   ヨハネの手紙2章24節で考えさせられるのは「初めから聞いていたことを、心にとどめなさい」とあることです。「初めから聞いていたこと」とは、ユダヤ流にいうならば、それはトーラー(律法、モーセ五書、旧約聖書の創世記~申命記)です。今も昔もユダヤの家庭や学校では幼い頃からトーラーを暗唱してきました。しかしいわゆるヨハネ文書(ヨハネによる福音書やヨハネの手紙)の中で「はじめ」という言葉は独特の意味があります。

 今日のヨハネの手紙(一)1章には「初めからあったもの、わたしたちが聞いたもの、目で見たもの、よく見て、手で触れたもの」を伝えますとあり「すなわち、命の言について」とあります。そして、この命は御父と共にあったが、わたしたちに現れたこの永遠の命を、わたしたちは見て、あなたがたに証しし、伝えるのです」と続けられる―父は神のことですから父と共にあった、は子なるキリストであり、つまりこの命の言葉はキリストそのものであることが分かります。こういった脈絡をヨハネ文書はもっています。

 主イエスは弟子たちや群衆に「聞きなさい」。とよく示されました。また弟子たちにはよく見て、復活の証人たることを求めました。その弟子トマスにも、「あなたの指をここに当てて、わたしの手を見なさい。また、あなたの手を伸ばし、わたしのわき腹に入れなさい。信じない者ではなく、信じる者になりなさい。(ヨハネ福音書20章27節)」と語られましたが、後の世の教会はこのような弟子たちが「聞き、またよく見て、手で触れ」確証を得て信じたことを伝えられ、信仰の継承をしていったのです。後の世のクリスチャンたちには、同29節にあるように、見ないのに信じる人の信仰を幸いとする、主の言葉を伝えるのです。ここには信じるということが目的になっています。

 本日の手紙は22-23節にあるように、教会の中でイエスがメシアであることを否定する者の教えを警戒するメッセージですが、27節には「いつもあなたがたの内には、御子から注がれた油がありますから、だれからも教えを受ける必要がありません。この油が万事について教えます」とあります。マタイ福音書25章には結婚式の花婿を迎える十人のおとめの譬えがありますが、この花婿は即ちキリストであり、たとえには十分ランプの油を用意したおとめに対し、それが切れた五人のおとめが対照的に描かれています。ここで油の意味することは、神様を迎え入れる心のことを意味するのだろう。それはイエスは主である、と信仰を告白する心であります。そこで私たちは神様とつながり、何の憂いも恐れもなく歩めるのです。主とともに歩みましょう。

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