2011年3月20日 の説教



 聖書



 コリントの信徒への手紙Ⅰ
          2章11~3章9節

説教要旨   本日の手紙の中では、その前半部、に私どもは神の霊を受けて歩むのだ、という示しがあります。もちろん神の霊を受けるとは、神を信じ、罪を悔い改め、その愛による救済を受けるように、キリストを信じて私の主である、と告白することが肝心であります。

 12節に、世の霊ではなく、神からの霊を受けました。という言葉が明らかにしているとおり、ここには世と神との対立関係があります。世はコスモスという言葉ですが、現実にはこの言葉の示す調和や、バランスとはかけ離れた現実が既にパウロの時代の現実であり、地中海の覇権を手にしたローマ帝国で明らかなように、権力者の横暴が欲望が支配し、格差が生みだされる。おのずとパウロが使うコスモスはその理念からかけ離れた言葉となりました。

 14節に、こう書かれています。「自然の人は神の霊に属する事柄を受け入れません。」この自然の人とはもともとのギリシア語の直訳では、「魂的人間」です。魂(心)がそのまま人間の肉体を支配しているようなあり方です。パウロは私たちの手本として、主イエスに思いを馳せています。イエスは肉体を人間の魂(心)によって支配させるのではなく、神の霊によって歩まれた方であるからです。ヨハネによる福音書の1章14節では「言葉が肉に宿った」と示しています。肉を超える言葉がそこに宿ることによって、この肉体を神の思いに満たす人間となることが出来る、それがクリスチャンとなることなのだと示されています。16節の「だれが主の思いを知り、主を教えるというのか。しかし、わたしたちはキリストの思いを抱いています。」とあるように。

 コリント教会はパウロが最も情熱を傾け励ました教会ですが、今厳しい言葉をその人々に対して語っています。それは3節で「相変わらず肉の人だからです。お互いの間にねたみや争いが絶えない以上、あなたがたは肉の人であり、ただの人として歩んでいる、ということになりはしませんか」と問う。それはその当時教会の中に派閥が出来ていた。争い合うもとが作られていっている。教会はキリストのからだとしてたてられているコミュニティーである限り、争いのもととなってはならないのです。その真逆のことを主イエスは教えた。それを実践し平和を求めていくための神の愛が満ちあふれるコミュニティーとしてたてられるのです。教会はそれを世に示すのでなければなりません。愛と平和に生きる。この世界を愛と平和で満ちあふれさせる愛と平和を注ぎ続ける働きを導かれたいと願います。

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