2011年3月20日 の説教



 聖書



コヘレトの言葉 3章1~11節
ローマの信徒への手紙 1章16~17節

説教要旨   [ 府上征三牧師 ]

 パウロは、ローマの教会宛てに書いた手紙の冒頭で、「わたしは福音を恥としない」と言い、その理由として「それはユダヤ人を始め、ギリシャ人にも、信じる者すべてに救いをもたらす神の力」だと語りました。
 これより何百年も前に書かれた「コヘレトの言葉」の中でも、著者は、「何事にも時があり、天の下の出来事にはすべて定められた時がある」(3章1節)と語り、28種の「時」を列挙した後、「神はすべてを時宜にかなうように造り、また永遠を思う心を与えられる」〈11節)と語りました。人には、それぞれ「時宜」にかなった生き方(死に方)があると。

 今日、8月14日は71年前に日本が「ポツダム宣言」を受諾し、翌15日は、昭和天皇によるラジオ放送で「敗戦」の詔書が明らかにされた日です。その詔書を草稿したのが、戦時中4度に亘って外務大臣を務め、戦後は45年10月より7ヶ月の間、天皇の命を受けて、総理大臣になった幣原喜重郎でした。その幣原が戦後、連合国軍総司令官マッカーサーの指令で、新憲法の草案作成に随分と腐心した人であることは、余りよく知られておりません。しかし、彼は戦時中も軍部の執拗な抵抗を浴びながらも、一貫して「平和主義者」として立ち上った人であり、驚くことなかれ、新憲法の「戦争放棄」条項を発案したのは、マッカーサーではなく、幣原でした(約60年前の憲法調査会の公聴会における音声が、今年になって、国立公文書館で発見された)。当時の彼の胸中を去来していたものに、「非武装宣言は従来の観念からすれば全く狂気の沙汰である。だが、今では狂気の沙汰とは何かということである。武装宣言が正気の沙汰か。それこそ狂気の沙汰だと。要するに世界は今一人の狂人を必要としている。何人かが自ら買って出て狂人とならない限り、世界は軍拡競争の蟻地獄から抜け出すことはできないのである。これは素晴らしい狂人である。世界史の扉を開く狂人である。その歴史的使命を日本が果たすのだ」(『幣原先生から聴取した戦争放棄条項等の生れた事情について』平野三郎記・国立国会図書館所蔵より)とある通りです。

 『信徒の友』(2016年8月号)の特集テーマは、「あなたは平和を語れますか」ですが、そこには聖書に基づく「平和主義」とは、ただやみくもに平和主義の重要性を唱えるだけでなく、正戦論(軍事力によって国を守り、やむを得ず行わなければならない戦争もあるとする立場)がまかり通っている現代社会にあって、聖書に基づく平和主義に生きようとすることの「居心地の悪さ」は回避出来ないと述べられています。これに耐えつつ、主の平和を確信して生きるには、福音を恥じず、主イエスの復活を信じる信仰に立つしかないでしょう。 

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