2011年3月20日 の説教



 聖書

エフェソの信徒への手紙 3章14~21節

説教要旨   豊かさとは何か。聖書のことばでは、神の豊かさを考えることが示されています。この手紙でパウロはエフェソ教会の信徒の人たちに向けて神に祈っています。この祈りは、神様が私どもにどのように関わって下さるのかということを考えさせる。そういうことが「豊かさ」のもつ意味なのだと教えてくれるのです。

 神様が私どもにどのように関わって下さるのか。16節では神様は「霊により、力をもってあなたがたの内なる人を強めて」くださるように働きかける。神様は私どもにそのように関わって下さる。それは「御父から、天と地にあるすべての家族」へとある神の家族という関わりです。パウロはそう呼び交わし、エフェソの教会の兄弟姉妹達に次の三つの祈りをしています。

 第1の祈りは内なる人を強められますように。この「内なる人(16節)」は内在したもうキリストと解することが出来る。それは19節「神の満ちあふれる豊かさ」、キリストが充満する、という意味です(コロサイ 2:9、ガラテヤ2:20)。そこにおいて私たちは「愛に根ざし、愛にしっかりと立つ者(17節)」として導かれます。第2の祈りは理解するように。キリストの愛の広さ、長さ、高さ、深さがどれほどであるかを理解する(18節)。ヨブ記11:7‐9には「あなたは神を究めることができるか」と問いかける言葉があります。モウルという人は「無限者が有限な受取人に授けようと欲し、また与うる限りいつでもその祝福の全体を豊かに受けることが出来る」と述べました。19節最後の祈りは、第3の祈りは満たされること。人の知識をはるかに超えるこの愛を知るようになり、・・・神の満ちあふれる豊かさのすべてにあずかり、それによって満たされるように。かつてパウロはコリントの信徒への手紙(Ⅱ)で、マケドニア州の諸教会に与えられた神の恵みについて「彼らは苦しみによる激しい試練を受けていたのに、その満ち満ちた喜びと極度の貧しさがあふれ出て、人に惜しまず施す豊かさとなったということです。(8:2)」と示しました。この豊かさはキリストの愛の広さ、神の豊かさがこの教会を満たしたのです。

 主イエスの病の癒しのわざ、その神の言葉は、これまで律法を形だけまもってきた人々が驚嘆するものでした。多くの人が主イエスのわざに驚きましたが、そのあと、喜び、神をたたえたのです。

 私どもは日々の生活の中で、主イエスのわざの豊かさに触れることの少ない者ではないか。そのみ言葉の感激に心ふるわすことの萎えてしまった者ではないか。喜びの代わりにためいきや愚痴を漏らすだけの生活に終わっていないか。今こそその豊かさ全てに触れ親しみ、神への讃えをこころよりなしてゆきたいと願います。

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