2011年3月20日 の説教



 聖書

フィリピの信徒への手紙 3章7~21節

説教要旨   今日の3章20節の「本国(ギリシア語の原語はポリテゥーマ)」という言葉は、「国籍」や「市民権」とも訳せる言葉です。

 使徒パウロの活躍した地中海世界はローマ帝国の席巻する世界です。そこではローマ市民権をもつ者の権益がとても幅をきかせていました。ローマ帝国のマケドニア州の州都とされた植民都市フィリピには前42年のフィリピ戦役の退役軍人たちがローマ市民権を与えられ我が物顔で闊歩し現世を謳歌していました。その一方で何の権益ももたぬ様々な国からの難民や移民たちがひしめき明暗を分けていました。フィリピの教会にもこういった事情が反映されていただろうと思われます。紀元前30年にオクタウィアヌスが始めたフィリピの都市建設事業によって、都市の区割り、ローマ風のフォルム(広場)の建設、鉱山の開発、また古い円形劇場の改築によるローマ風の競技会が開催され、こうした小ローマの建設はローマ趣味と経済の発展を促しながらも、快楽と欲望の町の体をなし、その一方で貧富の差が増大し、さまざまな問題が起きました。今日の3章18-19節でパウロはこう嘆いています。「キリストの十字架に敵対して歩んでいる者が多いのです。彼らの行き着くところは滅びです。彼らは腹を神とし、恥ずべきものを誇りとし、この世のことしか考えていません。」

 そしてパウロは12-14節にこう語っています。「なすべきことはただ一つ、後ろのものを忘れ、前のものに全身を向けつつ、・・・目標を目指してひたすら走ることです。」創世記19章で不義と邪悪に充ち満ちて滅び行くソドムとゴモラの町を出るロトの一家に向けて神が「命がけで逃れよ。後ろを振り返ってはいけない(9章17節)」と示した言葉を思い起こします。17節で、ひたすら走り抜いたパウロの言葉として「兄弟たち、皆一緒にわたしに倣う者となりなさい」が示されます。

 パウロは20節で、フィリピの人々に、既存のローマの市民権ではない、私たちの天に国籍をもつことを証する、という言葉で語ります。それはキリストを信じる信仰とそのあかしとしての洗礼を、パウロの確信に即して言えば、「わたしにとって、生きるとはキリスト(1章21節)」と言われているように、キリストご自身が私たちの命であり、私たちと一体化して下さるということであります。キリストが私たちのために天の国の国籍を得るには罪の滅ぼしのために自らが十字架につけられ、私たちのために苦しみ死なれ、そして復活というみ業によってなされ得られたものでした。キリストが生涯をかけ、父なる神の御心に従った労苦によって私たちに与えられたのがこの天国の市民権なのです。これがどのような逆境、そして死に対しても私たちの身と命を保証し、守るのです。この天にある国籍をもつものにはどんな悲しみや死の恐ろしさに対しても、それを乗り越える保証と力が与えられているのです。

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