2011年3月20日 の説教



 聖書

ローマの信徒への手紙 1章8~17節

説教要旨   今日のローマの信徒への手紙1章8節はこう始まっています。「まず初めに、イエス・キリストを通して、あなたがた一同についてわたしの神に感謝します。あなたがたの信仰が全世界に言い伝えられているからです。」ここには、「わたしの神」「あなたがたの信仰」というような表現がみられます。宗教改革者ルターは、キリスト教は所有代名詞の宗教だと言っている。つまり誰でも「神」と言うことはあるが、わたしの神と呼ぶことの出来るのはキリスト者だけであるということなのです。もちろんパウロの信じる神とローマの信徒たちの信じる神が違うと言っているわけではないものです。神に「わたしの」をつけて呼ぶことは一つの信頼の表現なのではないかと思います。

 もうひとつ「あなたがたの信仰」という言葉があります。宗教改革者ルターは信仰さえも与えられている、と語りました。信仰は神様からの賜りものなのです。それは信仰が、無機質な概念ではなく、ひとつの生き物のように生き生きと表現されるのです。それは先ほどから申し上げているように「私の」という表現に限りなく愛情をこめて、信頼を込めて語られている訳です。信仰は神様から与えられているもの、この心に宿っているものです。

 パウロはこうしたローマの教会の信徒の人たちの信仰のために、いつも祈っていることを伝えています。ローマ訪問を切実に願う表現が11節に「あなたがたにぜひ会いたいのは、“霊”の賜物をいくらかでも分け与えて、力になりたいからです」と示されている。信仰をひとつまた別の言葉で、“霊”の賜物と表現しそれを12節に続けて、「あなたがたのところで、あなたがたとわたしが互いに持っている信仰によって、励まし合いたいのです」と言います。パウロは与えることだけでなく、彼らの賜物にあずかることをも願い、互いの信仰によってともに励ましを受けたいと語っています。キリスト者の交わりの祝福は各自に与えられている賜物に共にあずかることによるのです。宗教改革者カルヴァンは「キリストの教会においては,貴重な利益を全く何も与え得ないほどに貧しい者は一人もいない」と語りました。キリスト教会でまことに分かち合いがなされるべきは、信仰(霊の賜物)の分かち合いだと示される。私たちの教会はどうだろうか。霊的な高め合いをしてきただろうかと振り返ります。その信仰の分かち合いのもとに伝えられる福音は信じる者すべてに救いをもたらす神の力である(16節)と示されています。福音は力、信じるすべての人にとって救いを得させる神の力です。

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