2011年3月20日 の説教



 聖書

マタイによる福音書 6章25~34節

説教要旨   今日の聖書の言葉を見ると「思い悩むな」という言葉が随所に見られます。それは主イエスの言葉で31節には総括的な形で「『何を食べようか』『何を飲もうか』『何を着ようか』と、思い悩むな」と語られています。

 この「思い悩み」というのは何だろうか。これは物質文明、肉的な問題にこだわっている私どもの悩みです。そうした悩みから解き放たれるべきことは、反面何を意味するか。これは霊的な生き方です。神様の言葉を聞き、神様に祈る、み言葉と祈りの生活です。

 イエスさまは荒れ野で悪魔から誘惑を受けられたということがマタイ4章にあります。四十日間、昼も夜も断食した後、空腹を覚えられていた時です。そういう時、悪魔は「神の子なら、これらの石がパンになるように命じたらどうだ」と主イエスに迫っています。あらゆる物質的な欲望を問う悪魔の問いかけに、主イエスは『人はパンだけで生きるものではない。神の口から出る一つ一つの言葉で生きる』と答えられました。荒れ野はかつて、イスラエルの人たちがエジプトの奴隷を脱し、カナンの地を求めて彷徨ったときにモーセに文句を言った場所です。パンがない、肉がない、飲み水がない云々、と。しかし民は物欲が満たされることだけを願い『神の口から出る一つ一つの言葉で生きる』ことは求めなかったのであります。しかし実はそこにこそ私どもは、人間人生の中で大切な霊的な関わりを見出すのです。

 私たちは毎日の食事が必要。生きていくためにはお金が必要。家が必要、仕事が必要とさまざまな必要条件を物質的に揃えます。大事なことではある。しかし人間は物質的に生きられないこともまた事実です。

 空の鳥を見よ(26節)、とのことです。鳥に見るものは素のままで神様に生かされている命の輝きです。そこには物質文明がまとわりついてはおらず、ただ神様の恵みによって生かされている姿がある。あなたがたは鳥よりも価値あると言われています。その価値とは知恵か力か。そうではない。神様の言葉を聞いてさとり、祈る心がある。つまり霊的なことであります。一つ一つの花を見ますとソロモンでさえその美しさに及ばない、生き生きとして花咲かせる命の輝きをそこに見ます。それは神様の下さる装いです。これが神様の下さる装いであることを分かることのできるのは人間です。霊的な人間がそれを心に受け入れ祈ることが出来るのであります。霊的な充足感はこうして、この世界に満ち溢れている神様の恵みを受け取っていく心をもつことにより養われます。

 霊的な充足感があるならば、もはや『何を食べようか』『何を飲もうか』『何を着ようか』と言って、思い悩むことはありません。空の鳥、野の花をこうして見ながら、神様の生かしてくださる命の輝きを見ながら私どもの心の霊性が高められますように。そして神様の言葉と祈りに生かされ愛によって歩ませられますように、祈りをささげてまいりましょう。

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